保元物語 - 29 為義の北の方身を投げ給ふ事

 秦野次郎は、則六条堀川へ参りたれば、母はいまだ下向もなし。よ(っ)て八幡の方へ馳行に、赤井河原の辺にてまいりあひたり。延景馬より飛おりて、奥の長柄に取付ば、軈而こしをぞかきすへける。「判官殿は比叡山にて御出家候て、十七日の暁、守殿の御もとへわたらせ給ひ候しを、かくしをきまいらせて、様々に申させ給ひ候しか共、天気つゐにゆるさせ給はで、昨日のあかつき、七条朱雀にてうしなひまいらせ候ぬ。五人の御曹子達をも、昨日の暮ほどに、北山船岡と申所にてみなきり奉り候ぬ。六条殿にわたらせ給つる四人のきんだちをも、舟岡山にて只今うしなひ申候。是は乙若御前の、最後の御形見どもをまいらせられ候。」とて、件の髪を取出し、其有様をくはしくかたり申しかば、母上是をきゝ給ひ、「夢かうつゝかいかゞせん。」とて、則きえ入給ひしが、良しばらくあ(っ)てすこし心ち出来て、「今朝八幡へ参りつるも、判官や子共の為ぞかし。氏神にておはしませばよもすて給はじと、頼をかけてぞまいりしに、はや皆々うせぬらん。神ならぬ身の悲しさよ。かゝるべしと思ひなば、なじかは物へまいるべき。けさしもかれらにそはずして、最後の姿を今一目、見ざりし事のくやしさよ。夜部これらが面々に、我もまいらんといひしを、様々にすかしてね入たるまに、かしこがほに詣たれば、定而下向したらば、口々にうらみんをいかゞこたへましと、今までも案じたるに、いかに大菩薩のおかしく思食つらん。責てはひとりなりとも具したらば、終には縦うしなはる共、今までは身にそへてまし。夢にも角としるならば、なにしに八幡へまいるべき。わらは子共に打つれて、船岡とかやへゆき、うせにし一つ所にて、とにもかくにも成ならば、か程に物は思はじ。」と、あこがれ給ふぞいたはしき。其まゝ既にたえいり給ひしが、定業ならぬ命にて、又いき出給ひけり。「今は屋形へかへりても、誰を友にか侍らん。只わらはをも、判官殿のきられ給し所へ具してゆき、同じ野原の草の露とも消えはてさせよ。」とかこち給ひ、すでに輿よりはしり出、身をなげんとこそし給けれ。
 延景并に介錯の女房など、様々に申けるは、「御欺きはさる御事にて候へ共、御身ひとりの事ならず、大殿并に君たちの御事おぼしめさんに付ても、御さまなどかへさせ給て、一筋になき御跡をとぶらひまいらせらるべきなり。御身をさへうしなはせ給ひなば、なき人の御ため弥罪ふかゝるべき御事也。されば左大臣殿の北の方も、御さまをかへさせ給ふ。平馬助殿の女房も、五人の子どもにをくれて、さこそは心うく思食けめ共、それもさまをかへてこそおはしませ。縦ひ今御命をうしなふとも、六道四生の間に、入道殿にもきんだちにも、あひまいらせらるゝ事有がたかるべし。香のけぶりにかたちを見、まぼろしのたよりに馨をきゝしも、皆身を全くしたりし故也。」などなぐさめ奉れば、「わらはもさこそは思へ共、今日明日さまをかへんには、誰かは落人のかたさまの者と思はぬ人はあらじ。しからば名のらずは左右なくゆるすまじ。あかさんにつけては、為義入道の妻の、とありてかくありてといはれん事もはづかし。其上、人は一日一夜をふるにも、八億四千の思ひありといふ。事なるおもひなき人も、さ程の罪のあ(ん)なるに、たとひ出家と成たりとも、月日のたゝんにしたがひて、年老たる人を見ん時は、入道殿もあの齢にあらんと思ひ、おさなき者を見ん折は、我子どもも是ほどには成なんとおもはんつゐでの度ごとに、きらせん人もうらめしく、きりけん者も情なく思はん事も心うし。然れば凡夫のならひにて、わが身の物をおもふやうに、人もなげきのあれかしと思はん心も罪ふかし。かゝるうれへに沈みては、念仏もさらに申されじ。只おなじ道に。」となげき給ふを、色々になぐさめ奉れば、「さらばせめて七条朱雀を見ばや。」と宣へば、各よろこびてかれに輿をかきすへたれ共、何の名残もみえわかず。「さらば舟岡へ。」とて、桂河を上りに北山をさして行程に、五条が末のほどに、岸たかく水ふかげなる所にて、輿をたてさせ、石にて塔をくみ、入道より始、四人のきんだちのためと廻向して、ふところたもとに石をいれ、さらぬ体にもてなし、「入道のうせ給し所へ行たれ共、声する事もなく、目にみゆる物なし。又船岡へゆきたりとも、同じことにてこそあらんずれ。童、年来観音を頼みまいらせて、毎日普門品三十三巻、弥陀の名号一萬遍となへ申が、今日物詣に、未おはらず。屋形にかへりたらば、おさなき者どものもてあそび物を見んに付ても、こゝにてはとありしかうありしなどおもはんに、心みだれて勤もせらるまじければ、こゝにて満じて、聖霊たちにも廻向せん。」とて、なお石塔をくみ給ふかとこそ思ひしに、岸より下へ身をなげて、つゐにはかなく成給ふ。めのとの女房是をみて、つれて河へぞ入にける。供の者ども、是をみて、あはてさわぎはしり入(っ)て尋ぬれ共、石をおほく袂にいれ給ひける故にや、やがてしづみて見え給はず。程へてはるかの下より取あげて、二人ながら、則其夜、鳥部山の煙となし奉りて、遺骨をば円覚寺にぞおさめける。今朝舟岡にて主従十人あしたの露ときえゆけば、今夜は桂河にて、二人の女房暮べの煙とたちのぼる。生死無常のことはり、哀なりし事共なり。

保元物語 - 30 左大臣殿の御死骸実検の事