こゝに久寿二年の冬の比、法皇熊野へ御参詣あり。本宮證誠殿の御前にて、現当二世の御祈念ありしに、夢うつゝともあらず、御宝殿の内より、童子の御手をさし出して、打返し<せさせ給。法皇、大におどろきおぼしめして、先達并に供奉の人々を召て、ふしぎの瑞相あり、権現を勧請し奉らばやと思食、「正しきかんなぎやある。」と仰ければ、山中無双の巫をめし出す。「御不審の事あり。うらなひ申せ。」と仰ければ、朝より権現をおろしまいらするに、午時までおりさせ給はねば、古老の山臥八十余人、般若妙典を読誦して、祈請やゝ久し。巫も五体を地になげ、肝膽をくだきければ、諸人目をすまして見る処に、権現すでにおりさせ給けるにや、種々の神変を現じて後、巫、法皇に向ひまいらせて、右の手を指あげて、打返し<して、「是はいかに。」と申す。まことに権現の御託宣也とおぼしめして、いそぎ御座をすべらせ給て、御手をあはせ、「申所是也。さていかゞ候べき。」と申させ給へば、「明年の秋の此、必崩御成べし。其後、世の中手の裏を返すごとくならんずる。」と御託宜有ければ、法皇を始まいらせ、供奉の人々皆涙をながして、「さていかなる事あ(っ)てか、御命延させ給べき。」ととひ奉れば、「定業かぎりあれば力及ばず。」とて、権現はあがらせ給ぬ。参あつまりたる貴賎上下、各頭を地につけておがみ奉けり。法皇の御心の中、いかばかりか御心ぼそく思食けん。日比の御参詣には、天長地久に事よせて、切目の王子の南木の葉を、百度千度かざゝんとこそおぼしめししに、今は三の山の御奉幣も、是をかぎりと御心ぼそく、眞言妙典の御法楽にも、臨終正念・往生極楽とのみぞ御祈念ありける。すべて還御の体、哀なりし御ありさまなり。