保元物語 - 06 親治等生捕らるる事

 去程に高松殿には、基盛すでに凶徒と合戦すと聞えければ、兵、我も<と馳来る。基盛、たかき所にうち上りて下知せられけるは、「敵はたゞ其勢にてつゞくものもなし。御方多勢なれば、をの<組で一々に搦取(っ)て見参に入よ、伊賀・伊勢の者ども。」と申されければ、伊藤・斉藤、弓手・妻子より馳よりて、一騎が上に五六騎七八騎落かさなれば、親治たけく思へ共、力なく自害にも及ばず生捕られにけり。誠に王事もろい事なき謂にや、宗徒のもの共十六人からめ取(っ)て、基盛、射向の袖に立たる矢どもおりかけ、郎等あまた手負せ、わが身もあけに成(っ)て参内し、此由を奏聞して、又宇治へぞ向はれける。親治をば北の陣を渡して、西の獄にぞ入られける。主上御感の余に、其夜臨時の除目おこなはれて、正下四位になされけり。聞書には、「宇野七郎親治己下、十六人の凶徒、搦まいらする賞なり。」とぞ記されける。


保元物語 - 07 新院御謀叛露顕并びに調伏の事付けたり内府意見の事