保元物語 - 16 新院・左大臣殿落ち給ふ事

 さる程に右衛門大夫家弘、其子中宮長光、馬に乗ながら、春日面の小門より馳参、「官軍雲霞のごとく責来り候上、猛火既に御所におほひ候。今は叶はせ給べからず。いそぎいづ方へも御ひらき候べし。」と申せば、只今出来たる事のやうに、上皇は東西を失て御仰天あれば、左府は前後に迷て、「只汝、今度の命を助よ。」と計ぞ宣ける。則四位少将をめして、御剣を給る。成隆朝臣是を給(っ)てはかれたり。上皇もはや御馬にめされたりけるが、余にあやうく見えさせ給へば、蔵人信実、御馬の尻に乗(っ)ていだきまいらす。左大臣殿の御馬のしりには、四位少将成隆の(っ)ていだき奉けり。東の門より御出有(っ)て、北白川をさして落させ給ふ所に、いづくよりか射たりけん、流矢一筋来(っ)て、左大臣殿の御頸の骨にたつ。成隆是を抜て捨たりけれども、血のはしる事、水はじきにて水をはじくにことならず。然れば鐙をもふみえず、手綱をも取え給はずして、眞倒に落給へば、成隆朝臣も落てけり。式部太夫盛憲、左府の御頸を膝にかきのせ、袖を御面におほひて泣ゐたり。蔵人太夫経憲も馳来(っ)て、抱付奉けれ共、かひもなし。延頼は松が崎の方へ落行けるが、是を見奉(っ)て、甲冑をぬぎすて、経憲と共に、小家の有けるにかき入まいらせて、先疵の口を灸し奉りけれ共叶はず、次第によはり給けり。矢目を見れば、右の御喉の下自、左の御耳の上へぞとをりける。さかさまに矢の立けるこそ不思議なれ。神箭なるかとぞ覚し。血もさらにとまらずして、白襖の御狩衣、あけにそめる計也。御目は未はたらけども、物をも更にの給はず。さらばしばらくやすめ奉らんと思へども、判官の領、円覚寺へ発向する由聞えければ、かくてはいかゞとて、経憲が車を取よせてかきのせまいらせ、嵯峨の方へぞ赴きける。やう<嵯峨に至(っ)て、経憲が墓所の住僧尋ぬれども、なかりければ、あれたる坊に入奉て、此夜はこゝにぞあかしける。


保元物語 - 17 新院御出家の事