保元物語 - 18 朝敵の宿所焼き払ふ事

 さる程に七月十一日寅刻に合戦はじまり、辰の時に白河殿やぶれて、新院も左大臣殿も、行方しらず落させ給ひければ、未の刻に義朝・清盛内裏へ帰り人参(っ)て、此よしを奏聞す。其体ゆゝしかりけり。蔵人右少弁資長をも(っ)て、朝敵追討早速に其功を致す由、叡感ねんごろ也。即周防判官承(っ)て、三条烏丸の新院の御所へ馳向(っ)て焼はらふ。左府の五条壬生の亭をば、助経判官承(っ)て、発向して火を懸けり。同謀叛人の宿所共十二ヶ所、各検非使共行向(っ)て追捕して焼はらふ。南都の方様いまだしづまらざれば、狼籍もやあるとて、申刻に宇治橋守護のために、周防判官季実をさしつかはさる。
 今度の御合戦に、事故なくうちかたせ給ふ事、すべては伊勢太神宮・石清水八幡大菩薩の御加護とぞおぼえし。殊には日吉の社に祈申させ給けり。されば宸筆の御願書を、七条の座主の宮へまいら(っ)させましましければ、座主此御願書を、大宮の神殿にこめて、肝膽を砕て祈り申させ給しかば、御門徒の大衆は申に及ばず、満山の諸徳、皆、宝祚長久・凶徒退散のよしの所請をぞいたしける。されば山王七社も、官軍の方に立かけらせ給けるにや、頼賢・為朝・忠正・家弘已下の軍兵、こゝを前途と防ぎ戦ひしかども、程なく責落されて、朝敵は風の前の塵のごとく、聖運は月と共にぞ開けける。
 昔、朱雀院の御宇、承平年中に、平の将門八ヶ国を打なびかして、下総国相馬の郡に都をたてゝ、我身を平新王と号し、百官をなし、諸司を召仕けるが、剰都へ責のぼり、朝家をかたぶけ奉らんとする由きこえければ、防戦に力つき、追討に謀なし。よ(っ)て仏神の擁護をたのみて、諸寺諸社に仰て、冥鑑の政をぞあふがれける。殊に山門すべて其精誠を抽でけり。其時の天台座主尊意僧正は、不動の法を修せられけるに、将門、弓箭を帯して壇上に現じけるが、程なくうたれける也。権僧正は其勧賞とぞきこえし。惣持院をば、鎮護国家の道場と号して、不退に天下の護持を致す。されば、今も法験なんぞ昔にかはるべきとぞ覚ゆる。

保元物語 - 19 関白殿本官に帰復し給ふ事付けたり武士に勧賞を行はるる事