保元物語 - 27 義朝の弟ども誅せらるる事

 さる程に左馬頭に重て宣旨下りけるは、「汝が弟どもみな尋て進すべし。殊に為朝とやらんは、鸞輦に矢を放たんなど申ける寄怪の者なり。からめ取(っ)て誅すべし。」となり。義朝畏(っ)て、方々へ兵をさしつかはして尋られければ、爰かしこよりたづね出してけり。為朝は敵よすると見ければ、打破て、いづちともなくうせにけり。「四郎左衛門頼賢・掃部助頼仲・六郎鳥宗・七郎烏成・九郎為仲、已上五人の人々、都の中へは入べからず。」と仰下されければ、すぐに舟岡山へぞゐて行ける。五人ながら馬よりおりてなみゐたり。最後の水をあたふるに、各たゝう紙にて是をうけける其中に、掃部助頼仲、此水を取(っ)て唇ををしのごひて申けるは、「我おさなくよりして、人の首をきる事数おほし。さやうの罪のむくひにや、今日既にわが身の上に成にけり。兄にておはしませば、左衛門尉殿こそ先だゝせ給て、御供仕るべけれども、軍門に君の命なく、戦場に兄の礼なしと申せば、死をさきにする道、しゐて礼を守らざるにや、其上存ずる子細候。日比、皇后宮の御内に、申かよはす女あり。夜前も来(っ)て見参すべき由申侍しを、叶まじき由、心づよく申て返し候き。定て只今も尋来らんとおぼえ侍り。最後の有様をみえても詮なく、又不覚の涙の先だゝんもほいなく思ひ侍れば、先立申候。六道の巷にては必参りあひ奉るべく候。」とて、直垂の紐をときて、首を延てぞきられける。其後四人ながらきられけり。皆なく見えたりける。次の日陣頭へもたせてまいる。左衛門尉信忠是を実検す。獄門には懸られず、穀倉院の南なる池のはたへぞすてられける。是は故院の御中陰たる故とぞ、皆人申しける。


保元物語 - 28 義朝幼少の弟悉く失はるる事