保元物語 - 32 無塩君の事

 斉の国に婦人有。無塩と名づく。かたちみにくゝして色くろし。喉結をれ項肥たり。腰はおれたるがごとく、胸はつき出せるがごとし。蓬乱の髪は登徒が妻にすぐれ、檻楼のうへのきぬ、董威が輩に越たり。折あつとはなびせに、高匡とまかぶらだかに、けんふとをとがひぼそに、隅目とますがみたり。されば卅に及まで、あへて妻取者なし。或時宣王の宮へ詣て申さく、「妾、君王の聖徳ます事をきくに、后宮の数につらならん事をねがふてまふで来れり。」宣帝則漸台に酒肴をまふけて是をめす。時に左右の見人、口をおほひ目をひきわらふ。帝いまだ言をいだし給はず、婦人すいべんとめみは(っ)て、胸をう(っ)て、「危哉、々々。」と四度申せり。宣帝、「何事をのたまへる。わがねがはくは其ゆへをきかん。」と。女こたへていはく、「大王はいま天下に君たれ共、西に衛・秦のうれへあり。南に強楚の敵あり。外には三国の難あり、内には姦臣あつまれり。すでに今春秋四十七にいたるまで、太子立給はず、只継嗣をわすれて婦人をのみあつむ。このむ所をほしいまゝにして、たのむべき所をゆるくせり。もし一旦に、事出来らば、社稜しづまらじ、是一。五重の漸台を造て、金をしき玉をちりばめて、国中のたからをつくし、万民こと<”くつかれたり、是二。賢者は山林にかくれ、侫臣は左右にあり、いつはりまがる者のみすゝみて、いさめさとす者なし、是三。酒をたしみ女におぼれ、夙夜に思ひをとらかし、志をほしいまゝにして、前には国家の治を思はず、しりへには諸侯礼をおさめず、是四。危哉、々々。」と申せば、宣王ききて、「今、寡人がいふ所、是いたれることはり也。誠に我あやまりのはなはだしき也。身の全からざらん事ちかきにあり。」とて、立所に漸台をこぼちすて、彫琢をとゞめ、へつらへる臣をしりぞけ、賢者をまねき、女楽をさけ、沈酔を禁じ、つゐに太子をえらび、此無塩君を拝して后とさだめしかば、斉の国大にやすし。是醜女の功なりといへり。
 しかるを今はたゞ顔色にふけり、寵愛を先として後宮おほき故に国みだるゝなり。されば周の幽王は褒娰を愛して、本の后・申后并に其腹の太子をすて、褒娰を后として、当腹の伯服をも(っ)て太子とせしかば、申后いかりをなして、絵綵を西夷犬戎にあたへて、幽王の都をせめしかば、蜂火をあぐれ共兵も参せずして、幽王うたれ給て周国ほろびてけり。
 すべて天下のみだれ政道のたがふ事、后宮より出る也。よ(っ)て詩にいはく、「婦人長舌ある、是禍のはじめ也。天よりくだすにあらず、婦人よりなる。」といへり。長舌とは、いふ事おほくしてわざはひをなす也。是しゐて君ををしへて悪をなさしむるにもあらず、乱の道をかたるにもあらざれども、婦人を近づけ、其詞を用れば必禍乱おこる也。されば婦人は政にまじはる事なし。政にまじはれば乱是よりなるといへり。史記には、「牝鶏朝する時は、其里必滅。」といへり。めどりのときをつくるは、所の怪異にて、其さとほろぶるごとく、婦人まつりごとをいろふ事あれば、国必みだるといへり。しかるを鳥羽院、美福門院の御はからひにまかせて、御つゝがもましまさぬ崇徳院を、をしおろしまいらせて、近衛院を御位につけ奉り、又嫡孫をさしをいて、第四の宮、当今御受禅ある故に、此みだれ出来せり。嫡々をさしをきおはしますは、故院の御あやまりにや。しかれ共、天の日嗣は、かけまくもかたじけなく天照太神よりはじめて、今に絶ざる御事なれば、昔より此御望ありし君、ひとりも御本意をとげられたる事なし。され共、御はからひたがふ故にや、是より世みだれはじめて、公家たちまちにおとろへ、朝儀弥すたれたり。洛中の兵乱は、是を始と申なり。

保元物語 - 33 左府の君達并びに謀叛人各遠流の事